
今日もまた
和紙職人柏木一枝さんに会いにいってきました。
特に和紙を買うとか用事があるとか
そういうわけではなく
ただ会って話をしに。
なんだかんだで月に二回以上のペースで会ってる。
僕はもともとデザインの勉強をしていただけに
伝統的なものをどう生かすかそんなことを考えていたと思う。
ただ一枝さんと話すようになって
「伝統を残すこと」ということが
必ずしもいいことではない気がするようになりました。
もちろん、あり続けてほしいとも思う。
よくいろんな方が(特にデザイナーの方が)
「伝統を残すために新しいデザインを」なんてことを
よく耳にする。そういうコンペもよく見る。
でも、一枝さんと関わるようになって
それがどこか「伝統」という記号でしかなくて
つくる人の「伝統」とデザインする人の「伝統」に
温度差を感じてしまうのです。
そしてその温度差がデザイン側に近いほど
温度が低いように感じてしまいます。
伝統がこれからも生き残るためには
ある程度は機械化したり効率
付加価値をもたせないとできないというのは
否定できない事実だとも思いますが
ただそれを形式化して
何も知ろうともせずにすることは
全く別のものができてしまう。
和紙はその末端な気がします。
和紙は漉くことだけが和紙ではない。
和紙の原料
楮を育てることもそう。
どんな場所でどんなものを使ってどんな水でするのかでは
同じようで同じではなくなります。
そんなの対して変わらないと
思うかもしれませんが
その「そんなの」をしなかったから
一枝さんの仕事が残っているのも事実。
そして一枝さんは卸売りということを
ごく一部だけしかしていない。(飛騨高山の2,3件)
多くのお客さんは
和紙を求めて来てくれたり
来てくれたお客さんだけに
和紙を送ってあげている。
ずっとそれが続いている。
多くの和紙を見て触って来たつもりだけど
一枝さんの和紙の質に比べて価格は安い。
問屋さんで売れば一枚二千円を
超えたっておかしくないと思う。
ブランディングしてもっと高くして
色んな人に見てもらったらもっと
買う人が増えるんじゃないと
一枝さんに聞いてみたら。
「うーん、そういうことじゃない。」
そう言われた。
「私は求めてくれる人がいるから
ここまでやって来れてると思う。
もし、そのやり方を変えたら
求めてくれてた人たちにわるい。
お金にならんことかもしれないけど
お金にしないといけないことでもない。
こんな歳になっても体は動くし
和紙を漉き続けられてる。
あんたみたいに来てくれる人がいるし
昔から私の和紙を欲しい人がいて
わざわざ遠いところから買いに来てくれる人もいる。
私はそれがうれしい。
だから自分の仕事は間違いないと思う。
ほんとにおかげさまなんだよ。
そうやって昔から続いてきたことを
守って来たから私は守られて来たんだと思う。
だから
山中和紙に
傷をつけるようなことは
してはいけない。」
それを聞いたとき
伝統を「残す」ことと「守る」ことは違う
そう感じました。
今あるほとんどの「伝統」というブランド開発は
どこか「残す」ことを目的にしていないだろうか。
もちろん全てとは言えないし
それが悪いことだなんて言えない。
けどそれがどこか「空っぽの器」を
残しているような気がしてならない。
多くのデザイナーが
職人さんたちが
たくさん需要が増えることを
望んでいるとを思っている。
でもそうじゃないような気がする。
それは決してお金では片付けることのできない
「生きがい」を仕事に求めている。
求めているのは儲けることじゃない。
もしその「生きがい」ではない「伝統」を残そうとするなら
もう別のものとしてやってくれた方が職人さんのためかもしれない。
ただ商売のために「伝統」を口にするのは
「生きがい」を仕事にする人に失礼な気がする。
そうやって「残す」ことをするくらいなら
むしろなくなることを寂しく思いながらも
「生きがい」を全うして終わらせてあげた方が
「守る」ことなのかもしれない。
京都の某新規参入の伝統ブランドは
昔から続けている職人さんに
嫌われてしまうというのを聞いたことがあったが
その気持ちも少し分かる気がした。
更新することで更新する伝統を「残す」のか
更新しないことで更新する伝統を「守る」のか
どちらが正しいかなんてことはわからないけど
「お金のための生き方」と
「生き方のためのお金」は違う。
ただそれでもしたいと思うなら
まずしないといけないことは
お互いのことを「知る」ことだと思う。
どこまでが「守る」で
どこからが「残す」なのか
それをお互いに知らなければ
良いものは生まれない。
僕自身が「どこまで」のことができるか
それはまだわからないけど
未来を生きる子どもたちと
未来をつくる私たちに向けて
誇れる仕事がしたい
「現実」と向き合い
「誠実」でありたい
そんなことを考えて
相変わらずの遅筆な僕は
また日をまたいでしまったのでした。